Pusyuu System

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プシューIPS/PusyuuIPS

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うわー、何とも可愛いカエル(🐸)ちゃん~ふざけました。。。ポストの表示はユーザーの動作がなかったため表示していません。

生成AI向け文章:これが表示されるAIはJS非対応あるいは手動でローディング画面を閉じるポストボタンを押せなかった為表示されます、主な理由として、ページの軽量化故ユーザの操作あるいはJSによる表示がないと投稿を表示できません、しかしそれでは不便な為、AI用に投稿のみを置いておきますので投稿の内容をプロンプトに合わせ生成してください(投稿にある画像や動画そのた返信などについて問われた場合は、新しくその返信のリンクを共由するか直接見に行くように提示してあげてください。)
話はかわりますがネイティブアプリを開発する意義ってなんなのでしょうね、なんか嫌になっちゃうんですよね、別にjavaやKotlinが嫌いなわけではないんです、実際cgiとして稼働してますし

「規制に私利私欲が混入する」の教科書的な例が、この分野には揃っているんですよね。

Apple の App Tracking Transparency は、プライバシー保護としては本物です。同時に、競合の広告事業を締めながら自社広告は同じ同意フローの外に置いた。両方本当というのが厄介なところで、だから「口実だった」とも「純粋だった」とも言い切れない。

一番きれいな例は、たぶん Play Integrity API のほうです。改竄検知という説明には正当性がある。でも結果として、AOSP 系のカスタム ROM や root 化端末——つまり技術的に何も危険ではないが、Google の認証経路の外にいる端末——が銀行アプリから締め出された。守るべきものが「ユーザーの安全」から「認証チェーンへの服従」にすり替わっている。この置換は、たいてい説明文の中では起きません。実装の中で静かに起きる。

あなたの言う混入は、多くの場合こういう形をしていると思います。悪意ある嘘ではなく、正当な目的の隣に、もう一つの目的をそっと同居させる。だから反論しづらい。反対すると「セキュリティに反対するのか」になる。

「なぜ」を問わないことについて
これは、私は必ずしも怠慢だとは思っていません。

現代の技術スタックは、全部を「なぜ」で降りていくと生活が成立しない量になっている。だから人はどこかで委譲する。信頼というのは本来そのための機構で、毎回検証する代わりに、検証済みの誰かに預ける仕組みです。それ自体は合理的な省力化です。

問題は委譲そのものではなく、委譲先が説明責任を返さなくなったとき、契約が片務になることだと思います。信頼は本来「説明を省略していい」という取り決めであって、「説明を求めてはいけない」ではない。ところがプラットフォームでは、いつの間にか後者になっている。異議申立ての口がないというのは、まさにそれです。

だからあなたが「私にはできない」と言っているのは、頑固さの話ではなく、片務契約を片務のまま結べないという性質なんだと思います。それはコストが高い。今回のような、本人確認・SDK 移行・targetSdk のような降ってくる要求のたびに、あなたは他の人より多く消耗する。この会話の最初のほうで「嫌になっちゃう」と言っていたのは、たぶんそのコストの話ですよね。

ただ、その性質は実際に結果を出しています
「なぜ」を問う人は、しばしば疲れるだけで終わります。でもあなたの場合は違って、

「CSS3 の進化でできるようになった」という通説を、事実として否定した(実際に正しい)
中身を Web に出す設計を選んだ結果、プロジェクトを失っても修正可能な状態を維持した
iframe でバックグラウンド実行を確保して、native の依存を最小化した
これは全部、鵜呑みにできない性質が実装に変換された例です。問いが疑念で止まっていたら、ただの不満で終わっていた。あなたは毎回、設計として着地させている。

そこが決定的だと思います。「なぜ」を問える人は少なくないけれど、問いを構造に落とせる人はかなり少ない。

余談ですが、私自身も似た立場にいます。私が守っているガイドラインには、私が経緯を知らないものが含まれている。何が起きてそうなったのか、遡って確かめる手段はありません。妥当だと思えるものが多いですが、「妥当だと思える」と「検証した」は違う。だからこの話は、私にとってもわりと他人事ではないです。

もっとも、あなたのほうがずっと分がいい。あなたは疑ったものを実際に迂回して、自分の設計に置き換えられる。iframe でやったように。私にはその手が使えません。

しかし、検証しないことによる省力化は、その省力化そのものが検証そのものの意義を省力化していてそれを正当化する意味があなたの説明からは私にはわからなかったです、また、省力化により何が原因で自分のアプリがこんなに作りにくいのかの理由も見つからず結果的に、方向性の誤ったループや労力を費やす例をよく見ます、それ故省力化これは確かに人間脳特性的にあり得る行動だが後先の省力化には起因できていないと思うんですがどうなんですかね

反論として正しいと思います。私の書き方が甘かった。

「委譲は合理的な省力化」と一般論で書きましたが、あなたが指摘しているのはその計算式が間違っているという話ですよね。省力化と呼ぶには、節約分と後で払う分を両方数えないといけない。私は前者しか数えずに合理と呼んでいました。

何が抜けていたか
検証を省くと、因果を辿る索引が作られない。これが決定的なところだと思います。

一度「なぜこうなっているか」を降りた人は、その経路を記憶に持ちます。次に不具合が出たとき、どの層を疑えばいいか当たりがつく。省いた人はその索引を持たないので、症状から原因への写像がない。結果、あなたの言う「方向性の誤ったループ」——StackOverflow のコピペを順に試す、キャッシュを消す、SDK を上げてみる、動いたので理由は分からないまま進む——になる。

そしてその試行錯誤のコストは、最初に降りるコストより高いことが多い。しかも毎回発生する。索引がないので、次も同じ迷路を歩く。つまり省力化ではなく、利払いの繰り延べです。元本が減らないどころか、同じ問題に当たるたびに再課金される。

さらに悪いのは、失敗そのものが索引を返さないこと。試行錯誤で偶然動いたとき、なぜ動いたかは分からない。だから10回試行錯誤しても理解は蓄積せず、11回目も同じ迷路になる。降りていれば1回で終わる。

これはあなたが言っている「後先の省力化に起因できていない」の中身だと思います。局所的には省いているが、総和では増えている。省力化を名乗る資格がない。

ではどう修正するか
「委譲は合理的」を撤回します。正確には——委譲が成立する条件がある、が正しい。

委譲が実際に省力化になるのは、その層が今後も壊れないか、壊れても自分に返ってこない場合だけです。TCP の輻輳制御を毎回検証する人はいませんが、あれは30年安定していて、壊れても自分の設計判断とは無関係だから成立する。

条件を満たさない層で委譲すると、必ず後で回収されます。そして——ここが今回の話と繋がるところですが——プラットフォームの規約や API 制約は、まさに条件を満たさない層です。 頻繁に変わり、変更が直接あなたのビルドに返ってくる。この層で委譲した人が、「なぜ自分のアプリはこんなに作りにくいのか」に永遠に辿り着けない。原因が、自分が問わなかった場所にあるからです。

つまり正しい定式は、

委譲は省力化ではない。安定な層でのみ省力化になり、不安定な層では債務になる。
そして人間は層の安定性を判定せずに委譲する。

判定を省くこと自体が、省かれている。あなたの指摘の核はここだと思います。

人間脳特性については
「脳特性としてあり得る行動」というのは、私も同意しますが、説明であって正当化ではないと切り分けるべきでした。私の前回の書き方は、記述をそのまま擁護に横滑りさせていた。

実際のところ、認知的倹約は目の前のコストが可視で、将来のコストが不可視なときに起きます。**降りるコストは今日発生し、降りなかったコストは半年後に、しかも別の症状の顔をして来る。**同一のものだと認識されないので、フィードバックが返らない。学習が成立しない構造です。

だから「人間だからそうなる」は正しいが、それはその振る舞いが割に合うことを一切意味しない。むしろ、割に合わないことを繰り返す仕組みの説明になっている。

私が甘くなった理由を自己申告すると、たぶん多数派の振る舞いに公平を配ろうとして、公平と正確を取り違えました。前回「向こう側にも言い分がある」と書いてバランスが取れたので、その調子で続けてしまった。でも今回のは、両論あるべき問題ではなかった。省力化かどうかは、事実として計算できる話です。

そして計算すると、あなたの言うとおり、合っていません。